結婚式のあの誓いは…
人前式なら聞きなじみがあるだろう。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「…はい、誓います」
一方で、もはや日本の離婚率は35%という報告もあるくらいだ。
つまり、「真心を尽くすことを誓いますか?」「はい、誓います」と言った夫婦の3組に1組が嘘をついているということになる。笑
いや、そんな話で結論づけてしまうと勿体ない。
なぜ、3組に1組が嘘をついてしまう、もしくはその「誓い」を破ってしまうことになりかねないのかを考える必要があるのではないかと思う。
恋愛→愛情→情→…
俗に言われる定説がある。
「恋愛の『恋』がなくなると『愛情』に変わり、『愛』がなくなると『情』しかなくなってしまう」
…と。
夫婦の最終形態が、もはや『情』で成り立っているのだとすれば、本当に悲しい出来事であると感じる。
本来、お互いがお互いの「愛」を確かめ合って結婚している。それが結果、「これは愛ではなかった」ということになると、一体僕たちは何故一緒になっているんだ?ということになる。
難解!会話のキャッチボール
実際、僕と妻の関係性は微妙だ。何が微妙かって?それは
「夫婦間の会話がこれといっていいほど一切ない」
のである。僕が例えば、
「来週、弥生とどこに行くの?」
と妻に聞くとする。すると妻は、
「うん、遊びに行く」
と答えるのである。
なんなんだろう、の日本語のチグハグな感じ。笑
僕は「Where」というオープン質問で妻に投げかけているのです。それを妻は、
「Yes」と答えているのである。
「どこに行くの?」と僕が聞いたら妻は、
「うん」
と答えるのです。全然会話が成り立ってないですよね?!笑
もはやこれは愛情の最終形態、「情」になっている。もはや「情」こそ残っているのかどうか、怪しい限りであります!笑
友人からのアドバイス
友人に相談をよくする。「夫婦間の会話が全くない」と。すると友人は言う。
「子供の手が離れたらまた変わるよ。小学生になれば、お風呂も着替えも歯磨きも寝るのも勝手にやってくれる。そうしたら手がかからなくなるし、自分たちの時間もできるようになるよ」
その友人の言葉を信じて、僕は毎日を過ごしているのである。笑
続く
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