親になれば、わが子に何か一つでもスキルを習得してもらいたい、という親心を持つものだ。
習い事は、正直何でも良い。僕はそう考える。
さまざまな習い事
そのうちの一つが「習い事」である。
習い事と言ってもあまりにも選択肢が多すぎる。その子にとって、一体何が適しているかなんて言うのは正直分からない。何がハマるかなんて、誰にも分からないのである。
ちなみに、とあるサイトの情報から、2024年の「習い事ランキング」として
- 水泳
- ダンス
- ピアノ
- そろばん
- 英会話
- 武道・格闘
- 習字
- サッカー
- 体操
- 学習塾
と、なっている。
(引用元のサイト。習い事ランキング)←クリックでジャンプ。
我が、やまだ家の長女、弥生にはピアノ教室に通ってもらっている。
きっかけは何てことはない。彼女が「音楽が好きそうだったから」である。
毎日テレビに張り付いては、YouTubeのダンスや、民放で流れるプリキュアのエンディングテーマに合わせて歌ったり、踊ったりしていた。そう考えると、ダンスでも良かったのだろう。
それでもピアノ教室を選択したのは、「家からの距離」であった。
今通っているピアノ教室は、自宅から300メートルほどの距離感。圧倒的に通いやすい距離にあるのだ。
やまだ家では、習い事に介入するのは僕、のりお。妻はほとんど介入しない。というか、「私、習い事には一切かかわらないので」という宣言をされている。妻は妻で本業で忙しいようだ。
習い事をさせる目的は?
そもそも、習い事にも「目的」が必要である。
「なんのために習い事をさせるのか?」
というハッキリとした明確なものがあればなお良い。
「周りがやっているから」
「何かやらせてあげないと、不安だから」
という漠然とした理由よりもだ。
僕の場合、習い事をさせるのは
「『好き』『楽しい』という気持ちを芽生えさせるため」
である。
友達と遊ぶことの楽しみ。
家で一人で遊ぶことでの楽しみ
親と一緒に遊ぶ事での楽しみ
もうすでに「楽しさ」を感じることができる環境下にはいる。だが、もっと様々な環境を彼女には与えてあげたいと考えている。
「まだこんなに楽しい世界があったんだ」と感じてほしいと思っている。小さな成功体験を積み重ねる場を与えたい、そんな気持ちに近いのかもしれない。
楽しい=活力
「楽しい」は原動力になる。ワクワクが止まらないと、いつまでもそれにのめり込むようになる。
ピアノはあくまで「楽しい」を作る手段に過ぎない。今後ピアノが「面白くなくなる」可能性だってある。でもそれでも良い。ほんの一瞬でも「楽しい」と感じるシーンを作りたい。ただそれだけである。
「ピアノを上手く弾かせたい、だから練習を一生懸命させたい」
こう考えてしまうと、手段と目的がごっちゃになってしまう。ピアノがたちまち楽しいものではなくなってしまう。
高い目標を立てて、それに向かって、期限を設けて、自分にプレッシャーをかけて逆算して取り組むこと。それも大切な要素である。
そしてそれに向かってやりきれるかどうかは、やはり楽しさが前提でないと成り立たない。
まずは楽しいとは何かを知ってもらいたい。
目標に向かって頑張れるかどうか、それは二の次であり、今は「楽しい」と言っているピアノを今後も楽しいと感じ続けることができるか。「つまらない」と感じた時に辞めるか、辞めることが「逃げ」になるのであれば、続ける意義を見つけるか…次に直面する山の乗り越え方を一緒に考えるのが親の務めであると考える。
続く
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