家族と過ごす。当たり前の日常のようだが、実は貴重な瞬間である。独身の時は、独りが楽で楽で仕方がなかった。その時に戻れるかと言われたら、難しいだろう。
だが、いずれはまた独りになる時がやってくる。娘が早くても高校生になれば、独り暮らしだって始める可能性が少なくない。だから、今一緒に同じ時間を共有できるのもあと数年。本当に時間は限られてくる。
「一人の時間が欲しい」
そのような気持ちはそっとしまっておこう。いずれはその時間が確実にやってくる。今のこの家族との時間を、大切にしよう。
わが子供のイメージが「憧れ」から「大変」に変わってきている
専業主婦のイメージは、一昔とはガラッと変化している。
それは、XやInstagramなどのSNSが普及したことにより、リアルな情報が取れるようになったからだ。
昔はおそらく、
「専業主婦は楽で良いよな」
「将来はお嫁さんになるのが夢」
ではないだろうか。だが今はどうだ。
「専業主婦って大変」
というイメージが定着しつつある。女性の社会進出よりもむしろこのイメージが、未婚率を上げている要因の一つであると僕は推測している。
専業主婦というよりも、大変なのは「子育て」なのだろう。
誰しもがラクをしたい、でも…
子供がいると、子供中心の生活になる。子供にある意味振り回され、「21時に寝かしつける」をみな目標にして、逆算して行動する。
逆算して行動することはとても合理的である。スピードが早くなるし、無駄がそぎ落とされる。だがデメリットもある。過度な「ストレス」がかかるのである。
これは目標に向かって仕事をするのと一緒。子育てはほぼ「仕事」と捉えられるのである。
人間、「楽(ラク)」や「安定」を求める。大変なことから逃げようとする。だからこの情報化社会の中、
「どうやら子育てって大変らしい」
という情報が出てくると、そこから逃げようとする。
確かに、独りの方が圧倒的に楽だった。何も考えなくて良い。いい意味で「無」になれる。だが、その生活に戻れるかというと、不可能だ。何故なら知ってしまったからである。
「独りは楽。だが、味気なく寂しいものである」
ことを。
大変なことも、全部思い出に変わる
「弥生、もう寝るよ」
今日も21時に就寝するというミッションはインポッシブルになった。弥生はリビングで未だにYouTubeを食い入るように観ている。
「まだみたーい」
同じ動画を繰り返し視聴する娘。好きなものを繰り返し観るという行為が、僕の小さい頃とそっくりである。
僕はふぅーと、思わずため息をついた。
「ママも今日は仕事遅いって言ってたから、早めに寝とこ?明日眠いよ」
「…」
僕の言葉が聞こえないくらいに、YouTubeに集中しだした。
「…じゃあ、パパ先寝てるね。おやすみ~…」
「パパ!待って!」
テレビを観たいよりも、独りになるのは嫌だという気持ちが上回るようだ。弥生は早々にテレビの電源を消した。
「だっこして~」
「え~もう5才のおねえちゃんじゃん。それともまだ赤ちゃんなの?」
「あかちゃんじゃないもん!」
「じゃあ階段歩けるよね?」
「だっこ~」
こんな押し問答も、あと数年もすればなくなってしまう。数年後、こっちがだっこさせてほしくても
「やめてよ、恥ずかしい」
と弥生に言われることは目に見えている。
その将来のイメージが沸いた瞬間、僕はいつも折れてしまう。
「弥生…ほら、だっこで布団行くよ」
僕は両腕を彼女の方に伸ばす。
「いぇ~い!」
彼女は笑顔で僕の方へ飛び込んでくる。そしてそのぬくもりを感じて思う。
「まぁ、いっか」
と。
続く
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